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| ラレー城の領主達 |
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国際ゴルフクラブ、シャトー・ド・ラレー パリゴルフクラブとして使われている、オーモンテルの森とラレー城及びその庭園は、ラレー古文書館の資料によると13世紀にはサンリスの領主ブテイエ家の持ちものでした。やがてサンリス司教のロベール・ド・クレッソナール神父が買い取ったと記録されていますが、この頃のラレー城は百年戦争でかなり破損していました。
14世紀になって領主は代わり、まず北フランス、ブローネ地方の豪族で後に国軍元帥になったアルヌー・ドーデナム家のものとなりましたが、やがてギステル家なる貴族の所領となります。 |
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14〜15世紀は、フランス全土を揺れ動かした百年戦争(1337〜1453)の時代で、ドーバーを渡ったイギリス軍はたちまちの内にフランス北部を席巻します。やがてパリを陥れ、ロアール河岸の街オルレアンに迫り来るその時、一人の少女が白銀に輝く甲冑に身を固め、長剣を握って立ち上がりました。
この“オルレアンの少女”、すなわちジャンヌ・ダルクに率いられたフランス軍は勢いを盛り返し、後退するイギリス軍を追って北上を続け、遂に1429年、彼女はラレー城に近接するシャンパーニュの首都ランスにおいて、国王シャルル7世の戴冠式を成就させました。
この時期パリ近郊(イル・ド・フランス)は戦乱の巷と化し、又、領主が次々に変わったことも手伝ってラレー城も相当荒廃してしまったようですが、1464年、リニー家の所領になって以降は、比較的安定した時代を迎えました。しかし百年戦争は“領主財産の危機”と呼ばれる社会現象を招来し、リニー家もその例にもれず没落の一途をたどり、16世紀末にはラレー城をニコラ・ド・ランシーに譲渡しています。
ニコラ・ド・ランシーは、1616年、国軍首席主税官に、そして1621年フランス王審議官にも任命され、同時にオルレアン公爵待従長になりました。彼の妻はイタリア・フィレンツェの大銀行家、フランチェスコ・デリ・アルビッツィの娘であり、これによって恐らく相当の富を築いた様です。
ランシーはラレー城を手に入れると、プロテスタントとカトリックの争いに端を発したユグノー戦争(1562〜1598)などのために崩壊してしまった城の再建に取りかかりました。1600年に開始されたこの築城工事において今に伝わるラレー城と、その庭園の元となる設計がなされています。
1633年に没したニコラ・ド・ランシーの後を継いだ息子のアンリ・ド・ランシーは、フランス絶対王政の象徴、ヴェルサイユ宮殿と、文芸の興隆にいろどられたルイ14世王朝の臣下にあって、1654年ルイ14世より侯爵に任ぜられ、ラレー城を侯爵領と定めました。彼はルイ14世旗下のオルレアン公親衛隊大尉として、ルイ14世の行った侵略戦争で武功をたて、やがては南仏ラングドック地方のブレッソンの知事にまでなりました。彼は女流書簡文作家として名高いマダム・ド・セヴィニエ(1626〜1696)といとこ同士だったことも良く知られています。
その後、ランシー家の家系は1760年まで続くのですが、この年ラレー城はバール侯爵家の手に渡ります。1787年7月14日、バスティーユに発するフランス大革命の炎は瞬く間に侯爵家を包み込み、夫アントワーヌは病死、夫人アンリエットは革命派に逮捕されてしまいましたが、日頃からラレー領民に温情が厚かった夫人は処刑の寸前に領民達の嘆願によって釈放され、しかし数日後に息を引き取ったと伝えられています。 |
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1793年、国王ルイ16世は数奇な運命の女性、王妃マリー・アントワネットと共に断頭台の露と消え、1799年にコルシカ生まれの一兵卒から身を起こしたナポレオン・ボナパルトの登場と、フランスの歴史はまさに佳境に入ります。
ナポレオンは1804年フランス皇帝に即位し、ロシア遠征に失敗するまでの間、ヨーロッパはもとより遠くエジプトまでその軍靴を鳴り響かせますが、1814年皇帝即位の後地中海のエルバ島に流され、一時的にフランスに王政が復活します。
ここに再び、ラレー城にまつわる人々の物語が秘められています。
すなわち、フランス大革命で不運な生涯を閉じたバール侯爵夫妻の娘フランソワーズは1785年、べドワイアー子爵と結婚し2人の息子アンリとシャルルを儲けましたが、アンリが王政復古に伴って組織された王族親衛隊に応募したのに対し、シャルルはエルバを脱出したナポレオン軍へと身を投じた為、シャルルの夢はナポレオンの百日天下と共にワーテルローの大会戦に消え、彼は王党派によって銃殺されてしまうのです。
しかしその王政も1848年、わずか30余年でついえ、途中ナポレオン3世による第二帝政時代(1852〜1870)やナチス・ドイツによる占領期などがあったものの、基本的にフランスは共和国としての体制を固めて今日に至っています。
とは言え現在でもラレー城の近隣の街々、例えばシャンティーイ、サンリス、コンピエーニュなどは今なお古くからの貴族層の居住地として閑静なたたずまいを見せています。 |
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| シャトー・ド・ラレーにまつわる歴史、それはそのままフランス史の縮図でもあります。その重厚な中世の城と彫刻の城壁、それに森の中にたたずむ幻想的なダイアナの門(赤門)などの中に刻まれた中世フランスの歴史の響きに、当ラレー城滞在期間中、ぜひ耳をそばだててみて下さい。 |
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